utsu-cafe’s diary

うつと暮らす日々

都合のいい存在

ある日の午後。

 

「だいたいさ、オタクの描く女は気持ち悪いの。あんな都合のいい女、いるわけないし」

「わかる~キモいよね~」

 

僕の隣に座っている女の子(とギリギリ呼べるだろう年頃)たちは、吐き捨てるようにそう言った。

そりゃそうだろう、と思う。

創作の目的の大抵は欲望の昇華であり、それが性的な欲求のみかどうかはさておき、「自分と異なる性」という描くのに苦労を要するものは得てしてファンタジーになってしまうものだ。

だからこその「創作」なのだ。

現実を殊更に描こうと筆者が意図したところで、紙面に落ちた瞬間から創作物と化してしまう。

如何に現実をありのまま映しとろうと注意しても、自分と異なる一個の人間を描いた時点で、それは紙面の中の新たな存在、現実と似て非なる何かでしかなくなる。

 同性であっても然り。異性ならば尚更、ということだ。

 

そもそも、リアルな異性……恋愛市場において殆ど価値のつかない自分に、その価値に見合った扱い(蔑視、無視、排斥など)を的確にブチかましてくる存在……を描いても、ほぼ誰も幸せになれない。

「リアルな女性が描けている!すごい!」と一部のリアル女性から誉められる、そんな僅かな(寸毫も無さそうな)可能性に賭けるよりは、自分の心が満足するまで、都合のよい理想のパートナーを描く方がよほど現実的なのだ。

 

都合のよい存在を何処に求めるか。

現実世界で探すもよし。

創作の中に見出だすもよし。

これらはベクトルの違いであって、出発地は等しく「欲する心」に発しているのだ。

それは悪と呼べるだろうが、しかし誰ひとりそう呼ぶ資格はない。

そう思っている。