utsu-cafe’s diary

うつと暮らす日々

裏切りと憎しみの狭間で

裏切られた側は、その事を忘れはしないものだ。

仮に、裏切った側が「そんなつもりは無かった」としても、裏切られた側にそんな了解はない。

否、了解をする必要などない。

 

そうだ。僕は、久しぶりに裏切りにあった。

裏切った当人を問い質せば「そんなつもりは無かった」というだろう。

しかし、明白なる裏切りだ。

意図的であろうと無かろうと、僕にとっての裏切りに当たる。

 

そして僕は、金輪際その人を赦しはしない。

積極的に危難を加えることは下らないし、余計な心理的負担になるだけだから、しない。

しかし少なくとも、その人の利益になるようなことは全くしないつもりだ。

当人が気付かなくても構わない。謝罪してほしいなどとも思わない。

ただひたすらに、僕は彼を赦さないだけだ。

 

この態度を、挟隘なる度量の為せるものとする人もあろう。

ひとたび過ちを犯した人に、一切の弁解の余地なく決別するという選択に、僕の狭量さを匂いとる人もあろう。

だが構わない。僕の暮らす生き方の……あの地獄から再び生きざるを得なかった僕自身の方策は、やはり極力まで自己と自己にとって守るべき存在の為にしか生きようとしないこと、なのだ。

だから僕の善的範囲から逸脱した人には、一切の顧みは無くなるし、更なる害をもたらすならば、それ相応の態度を取らざるを得ない。

そういう暮らし方をすると、決めたのだから。